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何やら「ニート」状態にある人間を無条件で擁護しているように読まれかねない文章がここのところ続いているので一応。
自分の出自に関わる問題を持っていない、あるいは軽度であった筈の層のニートに対しては全く同情の余地は無いと私は思う。私の、そういう人間への嫌悪は多分「下流社会」の三浦展辺りと共通してすらいるんじゃないだろうか(本読んだことないですけど)。散々機会も合ったはずなのに生かさなかった人間は今後の見込みも無い「純粋甘ったれ」とでも言うべき人々なので、さっさと死んで頂く、というのはむしろリベラリズムの観点において望ましくすらある(リベラルな教育を受けてきた事を誇りに思う、などとと言っていた原口君には賛同して貰えると思うが/嘲笑)。
ただ、元々色々苦しかった所から出てきた人間も含めて「純粋甘ったれ問題」、つまり所謂「自己責任論」とかで常々切り捨てだけが語られるのが最近の若者周り問題(というか福祉政策全般)の怖い所。「純粋甘ったれ」切り捨てをしてはいけない理由があるとすると、「純粋甘ったれ問題」を煽って本当にしんどい人への支援切り捨てを正当化させることを防がないといけないから、という一点に尽きると思う。
リベラルっていう言葉はそもそも定義が一様ではないので、そのような言葉を用いてしまったぼく(原口)にも問題があるけれど、そこに噛み付かれてもなあ、という気はする。
ところで「出自に関わる問題を持っていない」ニートなどありうるのかな。「軽度」というにしても、その本人の人生を言及者自身が生き直せるわけでもないのに(つまりその重みを図りえないのに)あっさり「軽度」と言ってしまっていいのかな。「問題の重さは人それぞれ」なんて相対主義者になれとは言わない。そうではなく、ひとの出自や生を云々する際には単にもっと慎重になるべきだと言っておきたい。
>(つまりその重みを図りえないのに)あっさり「軽度」と言ってしまっていいのかな。
確かにその線引きには確かに慎重であるべき。
でも、現実的にはある程度で「そんな問題は相手にしません」でプチンと切ってやらないと駄目な訳で。でないと、いくらカネやヒトが有っても足りない。ここでプッチリ言えてたのは実際に「どこのどのへんが甘ったれなのか」と言ってなかったからだね。
んで、「親の財産どころか借金背負わされて勉強する余裕すらありませんでした」的な人は何か持ち上げてやらんいかんと思う一方で(こういう人に対して公教育の不全を放っておいて「自己責任」言い出すのが日本の社会の悪い所)、親の遺産が山ほど有って多分一生遊ぶ金にも困らないであろう佐川一政みたいな人を政治的に救済してやらんといかん理由ってのは多分無いと思う(んまぁ佐川氏も超未熟児だったりして何の問題も抱えて無かったわけじゃないんですが)。その間のどこに線を引くかってのは極めて政治的な問題。
で、ネットにはびこる高等遊民気取りの連中(inch.俺)は特に経済的には恵まれているかまぁそれなりの生活は出来てる奴は、彼らの自己申告からすれば多そうな訳です。そういう連中を救済の対象にすべきかどうかというのはまさしくボーダーラインにある問題と思うし、私としては「さっさと働くか死ぬかしろこのクズが」としか思えない奴の方が多いと思ってたりするわけです。
訂正。佐川氏は結構喰うのにも困ってるらしいという噂です。でも救済の対象とされるべきかどうかはやはり「?」でしょう。