この内容はアーカイブされたものです。ツッコミなどはできません。
「痙攣」の第一期最終号である零号の対談を読んでいて、「なんか気取った会話してやがんなぁ」とか、「なんか今のGtuningって存在意義無いなぁ」とか考えていたのである、が。
GtuningでWWWらしい部分って日記部分しかないからなあ、とか。「声」はWWW向けだとは思えない。HTMLである必然性すらない事は見れば見る程明らかになる。それは、間違いなく僕が未だに本とか音楽CDとかと似たものとしてWWWを扱おうとしているからで、それは根本的に間違いなのだと思う。僕が日々嫌悪を表明しているテキスト系サイトやblogや何やらの方が絶対にWWW的であり根本的に正しい。おづ氏の美化部はその辺の問題をとっくに解決しているのだが、その方法論を真似しても仕方ないし、真似できるものでもないし。